あと2週間ギブス生活であった。
黙読のリズムがどうこうと書いた。
リズムというのは何なんだ?
実は、私は良い文章というのをすぐには判別できないので、一応とてもとても有名な文章を出して、滅茶苦茶にしていくというのはどうでしょう。
ものごくひどい文なら判別できる。ひどい文、それは意味が不明な文だ。
意味がわかっても、何かひどい文というのはある。かっこわるい文というのもある。
それを問題にしたい。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」ごめんウィキペディアからコピペしてきた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%9B%BD_%28%E5%B0%8F%E8%AA%AC%29 (川端康成)
では最初の文をちょっと変えてみよう。
例文1
「長い国境のトンネルを抜けると雪国であった。」
おお、いきなり駄目な感じになった。どこが駄目なんだろう。
「国境の」と「長い」という、トンネルを形容する二つの語の、どちらを先に持ってくるのか。「長い」を先にすると、長いのが「国境」なのか「トンネル」なのかわからなくなってしまう。いやこういう時は、なんとなく前の単語にかかると判読するような気がする。すると「長い」は「国境」にかかる。国境は普通、長いんじゃないか? 「美しい日本と私」は、「美しい日本」and「私(美しいかどうか知らない)」なんだろうけど、何となく微妙に「私」にもかかっているような。
例文1は、意味が変になるから変に感じるのか、それとも原文が有名すぎで違うと変に感じるのか。
以前、私は、文章読本の類で、形容詞句が二つ以上重なる時は、長い方を先に書くと良い、と読んだことがある。その方がわかりやすいという。
じゃあ、「国境の」より長い形容詞句が出たときはどうなるのか。
例文2
「先月開設したばかりのまだコンクリートが生乾きみたいな、国境のトンネルを抜けると雪国であった」
「国境の、先月開設したばかりのまだコンクリートが生乾きみたいなトンネルを抜けると雪国であった」
この場合、別にどっちでもいいような気がしてきた。後者のほうがいいな。『国境の、』で切った方がいきなり冒頭からダラダラ続くよりマシか。
「国境の」のほうが、「新しい」より重要だしドラマチックというか......な、気がする。要するに別の天地に来た感じが重要なんじゃないか? トンネルまた出てきたっけ?
何故駄目な感じになるのか何の分析もできず、眠いから寝ます。
